NEW しゅうちゃんの観劇日誌

2026.9.7 Mon

「バグる距離感」

父との付き合いは長いようで短い。そんなことをふと考えさせるような、また、ほかにも劇中、現実の世界と重ね合わせて考えるテーマの多いお話で、また、令和って、どうやったらハッピーになれるんだろ。みたいな、みんな令和という時代の堅苦しさに、悩んでいるよな。と感じてしまうシリアスさが滲みでているお話だった。

とはいえ、冒頭のシーンから少女が優雅にバレエを踊り、その自由さと、この堅苦しい現代の鬩ぎ合いのようなお話で。かつて少女だった主人公が、父との葛藤や、介護、その父を介護する幼なじみのヘルパーとの微妙な関係。また、スタイリストという芸能の仕事でコンプラ的な失敗をして挫折して、2年後復職して、また、色々、現代の人間関係のゴタゴタに巻きこまれていく。

そこで、救いをもとめ、悩みを解決してくれるはずのAIが登場するのだが、AIに相談しても、やっかいな問題はかたずかず、人間の心理は複雑で割りきれず。嫌いや好きだけでも、どっちつかずだったり、答えもなかったりで、結局人間の心境というのバグってしまいがちなんだな。みたいに主人公が葛藤するたびに、揺れ動くたびに、人間の心理の割り切れなさが随所にでてくる。

悲しいのは、割り切れなさを抱えたまま、嫌いだったはずの父との時間帯の思い出が切なく。暴力をふるわれたものの、家族として過ごし、優しかった父の思い出もあり、これは現代では単純にいかない問題だが。愛憎劇もあるように、人間の心は単純な善悪で割りきれず、かつ、存在自体が切なさを抱えており、矛盾もあるなかで、生きているということなのだろう。

この父親役を担当したなかやん。とくに印象的なのは父娘とのやりとりで、ゲームの説明書を読むのか、読まないのか。みたいなくだりがあり。こういう家族のたわいもないやり取りが、妙に印象的で、心にずっと突き刺さっているものなのかもしれない。

人との距離感ということで、恋愛についても、絵に描いたような話はなく。主人公を散々助ける幼なじみとの恋愛がうまくいかなかったり、主人公が好意寄せるイケメンでゲイだという俳優には、のちに噴出するブラック宗教問題があっても、その関係性に飛び込んでいく。

人との距離感のつめかたや、向き合い方が、無軌道なゆえ、現代の堅苦しさや、様々な問題がふりかかる構造で。
主人公の踊り、自由さ、軽やかさの生きる姿勢が、時代の感覚に見合わないのかもしれず、実際に苦難に合うのだが、主人公は自分の気持ちを苦労しながらも貫いていくお話なのである。

昔の童話や、トレンディドラマであれば、ハッピーエンドが約束されてたりするのだが。この話にはハッピーがあまりない。それでも、なんだか凄く現代的だなと思わせるエピソードばかりで、どうやったら、この人たちのハッピーが成立したのかを考えさせられた。

やはり、そこにあったのはハッピーな思い出。ということで、アンハッピーなエピソードもあったけど。ハッピーと言える思い出もあって、ドラマ進行中にも、主人公の恋愛成就になりかける場面もあり、それは、また、状況の変化によって裏腹な気持ちになったりもするのだが。ここにでてくるアンハッピーな登場人物にも、光と影の時代があり、そこが、同じ人間の中で、人生というカテゴリーの中で、本当に嫌いだったのか、好きだったのか決定打がなかなか決まらないなか、しかし主人公の好きだという気持ち、肯定的な気持ちが少しだけ、アンハッピーさに勝るお話なのである。

この劇を観て、そして各自現実世界に戻っていくわけだが、どうだろう。やはり、日常の中の割り切れなさの中で、家族との時間は、光と闇があるにしても、切ない、はなかない部分で、一番人間にとって普遍的なことであり、嫌いであったとしても、単純にそれだけでない光の好きな部分があったとしたら、なにか、もっとできたんじゃないか。できるのではないか。と感じた父と娘の話として印象にとても残った劇だった。

個人的にはもう少し父と娘のやりとりのボリュームを増強して、サザエさん並みに、父子家族の家庭環境に突っ込んだ話としても観て観たい部分もあったが、あまりにあっ気なく、父と娘の時間に終わりが来てしまったので、切なすぎた。

サーガものみたいに。父と娘の物語が、もっとどんなものだったのか。もう少しだけでも、ハッピーな思い出がもっともっとたくさんあったんじゃないか。と個人的には思って、もっともっとそこが、クローズアップされたなかやん。の演技を見たかった気がしたし、そこの演技力にかけては、凄まじいものを期待できただけに、そこは惜しいと感じた。

ハッピーな思い出はあるのに、なんで令和はアンハッピーになりがちなんだろと原因追求するきっかけとしても、この劇は、よく考えさせられる劇である。人間の幸せ。恋愛。そして人生。父の最後を看取った娘と、思い出としてでてくる幸せ。そこの根元的な追求があれば、人間の不完全を許容しない現代の厳しさがあり、しかしながら、もう少しだけでも、幸せな思い出の光の部分になりえた理由。そして、その可能性が現代にもあって、そこがもう少し見えてきてほしかったな。と感じた。