週刊誌『月光』の記者。宇山洋平。週刊誌『月光』は昭和23年に刊行された歴史ある雑誌で、芸能人のゴシップや、日々報道される事件の真相などに迫り中高年の読者が多い。宇山記者がこの雑誌の担当に配属されてから4年が経っていた。今や中堅記者として日々取材と原稿作成に追われ、週刊誌だけに多忙な生活を送っている。
宇山記者は『月光』の中でも、主に刑事事件を扱う報道部に所属をしており、中々他誌が取り上げるのをためらうようなところにも直撃し、報道記者界隈ではハイエナの宇山とも呼ばれていた。スクープは絶対に逃さないという心情のもと、日々起こる事件を血眼になって追っていて、警察組織からも一目置かれるような存在だった。
実生活を犠牲にしても事件の真相を追う。時に身の危険もかえりみることもしないため武勇伝も多い。実際に命を脅かされた事も少なくないという。そして、今も最前線で活躍し続けている彼自身が、『月光』で単独コラムを担当することになった。その名も『宇山の武勇伝』。記事にしては不味い部分を最低限度に留め、その武勇伝コラムを担当することにあたり、鬼編集長からの指令が下った。これまで本当に命の危機を感じた取材とはなんだったのか。それをベスト3で書いてみろと。
また、この鬼編集長としては、言い逃れをさせないため、なんでもお見通しの観察眼から、鬼編集長自身が選んだ3つの取材案件絞り、それについて忌憚なく答えよ。との指示があった。そのハイエナの『宇山の武勇伝』の指令コラムは次の3つとなった。
①松土の暴走族取り締まり現場での暴走族への取材について、答えよ。
②新宿兜町裏社会での有名ホストクラブオーナー誘拐事件の犯人直撃取材について、答えよ。
③武闘派政治家愛人不倫問題の政治家直撃取材について、答えよ。
この3つの取材では、ハイエナの宇山も、無傷ではすまなかったという。その3つの取材について『月光』の武勇伝のコラムで掲載されることになった。
- 松土の暴走族取り締まり現場での暴走族への取材について、身の危険性を体験したことについて答えよ。
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あれは駆け出しの記者として、走り出したばかりのペーペーの頃だ。松土署は、松土の中でも力を持った暴走族5チーム、総勢400人以上が集まる大集会があることを聞き出し、捜査本部を立ち上げた。
警察もガキに時間を掛けるのは癪だったんだろう。5チーム一気に壊滅させるつもりだった。松土署は県警と連携を図り、倍の800人で集会を包囲した。しかも各署から集められた、腕っ節が強いバリバリ体育会系の署員達だ。当日は、目立たないように地味で動きやすい私服で来るよう指示されたらしい。俺は独自のルートで捜査関係者から情報を聞き出し潜入した。
5チームの中でもトップと言われる走り屋、松土スパルタンの総長、葛西亨(かさいあきら)が始まりの号令をかけた瞬間に、警察は突入した。さすがは各署の猛者たちだ。次々にガキたちを抑えこんでいったよ。
ところが次の瞬間、俺は目を疑った。つくづく警察はバカの集まりだと思ったね。誰一人としてワッパを持ってきてねぇじゃねえか。全員、制服と一緒にロッカーに入れてきやがったんだ。
逆に俺は、この警察のアホさを露呈してやろうとギリギリまで近づいて行ったんだが、ワッパを忘れたことに動揺を見せる警察達の隙をついて、抑え込まれていたガキ達はたちまち逃げ出して行ったんだ。
そして俺は、近くにいたガキにナイフを首元まで突き刺され人質にされた。そりゃそうだ。周りの猛者より、一回り以上ガタイが小さいんだからな。俺は取材に関しては猛者だが、喧嘩となりゃ牙を抜かれたヘビと一緒よ。手も足も出ない。
そうしてバイクに乗せられ、ひたすら山奥を走ったよ。そのガキもビビりだったんだ。行く宛もない道を延々走り続けて、恐らく3時間は走ってたんじゃないか。その後は、身ぐるみ剥がされ縛られた状態で山に置いてかれたよ。駆け出しの頃だから、かなり恐怖を感じたのを覚えてる。記者として走り出したときに、バイクで走り出すとはな…。
- 新宿兜町裏社会での有名ホストクラブオーナー誘拐事件の犯人直撃取材について、身の危険性を体験したことについて答えよ。
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思い出したくもない事件だ。ついついポケットに手を入れてしまう、ある暮れのことだ。ホストクラブ「メルセデス」のオーナー、風間さんとは俺も親しくさせてもらってたんだが、ある時、急に連絡が取れなくなった。
俺は店に行って、従業員に訪ねてみることにした。すると、従業員達も風間さんの行方が分からないという。しかし、それは嘘だということがすぐに判明した。メルセデスのNo.2翔馬(本名:五十嵐拓哉)が店に戻るや否や、「金は用意できたか?」とボーイに言った。俺がそのことについて詳しく聞くと、“風間さんが誘拐されて身代金を要求されている”とあっさり吐きやがった。誰かに相談したら風間を殺すと脅されていた訳だ。
俺はその時点で犯人の目星は大方予想がついていた。兜町を牛耳る半グレ集団JOKER(ジョーカー)の連中だということを。
風間さんは以前、薬の密輸を依頼してきたJOKERと揉めていたんだ。風間さんも人には言えない悪事に手を染めてきた人間だが、薬だけはやらなかった。俺は、あるルートからその情報を仕入れていた。
翌日、JOKERを追っている俺にメルセデスの翔馬から電話が掛かってきた。「犯人は俺だ」とな。俺はあっけにとられたよ。風間さんが店の連中から慕われていたのは知っていたし、まして翔馬は早くに両親をなくし、身寄りのない翔馬を風間さんが施設に預け、親同然のように育てていた。その恩義を忘れるヤツじゃない。
俺は翔馬に言われるがまま、兜町のシャワー通りにある雑居ビルに行くことにした。兜町にありながら、一際目立つことのないピンク色の古めかしいビルがそれだった。
階段を上がって3階の突き当たりの部屋に行くと、翔馬と薬で眠らされているであろう風間さんがいた。「自首するから取材してほしい」翔馬がそう言い放った瞬間、銃声と割れたガラスの破片が俺たちを襲ってきた。JOKERの連中だとすぐに気付いたね。
翔馬に風間さんを誘拐させて、自白しようとした翔馬と風間さんをまとめて抹殺しようと考えた訳だ。二人を非常階段まで誘導して逃げようとしたときに、翔馬が撃たれてることに気付いた。さすがに二人を担いで逃げる力はなく、正直終わったと思ったよ。すると、そこにメルセデスのボーイが現れて気絶している風間さんを背負って逃げ出したんだ。俺は撃たれてる翔馬に肩を貸し、なんとかその場から逃げ出すことに成功した。
ボーイは翔馬がJOKERから操られていることに気付いて、奴にGPSを仕掛けていたんだ。成人式の日に風間さんから貰ったという、翔馬が10年間大切に着ていたBURBERRYのコートに。
ボーイは既に警察にも通報していて、銃撃してきたJOKERの連中は後日逮捕された。傷を負った翔馬と風間さんは兜総合病院に運ばれ、翔馬は一命を取り留めた。翔馬は警察に「JOKERから風間さんとメルセデスを守るため、犯行を行った」と自供。実行犯である翔馬は警察に勾留されたが、意識を取り戻した風間さんの力で、一週間後釈放された。
薬の影響もあるのかと思ったが、俺は風間さんから他人行儀にお礼を言われたので、改めて「月光の宇山」と名乗ると、「どなたでしたっけ?」と、言われた。
「今年の春に“兜町ホストの光と影”という特集の際に担当の記者だった」というと風間さんは…「あ~はいはいはいはい!」だとさ…。思い出したくもない事件だ…。
- 武闘派政治家愛人不倫問題の政治家直撃取材について、身の危険性を体験したことについて答えよ。
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あんなにハラワタが煮え繰り返った事件は後にも先にもあれだけだ。武闘派政治家、豊島英治(とよしまひでじ)は、環境問題に配慮したごみ処理場を全国に普及させた有力な政治家だということは皆の知るところだろう。
地方創生を促し、都市開発事業にもその力をいかんなく発揮した敏腕政治家として、多くの人間から信頼を受ける英傑だ。次期首相候補とまで噂される程、その勢いはまさに昇り竜のようだった。
それがまさか、自身の秘書に手を出していたとはな。いや、手を出すように促されたと言った方がいいか。
豊島は卑劣な悪行も跡を濁さず遂行する人物だ。今までも豊島のスキャンダルは数知れず報道されたが、いまいち証拠の裏が取れず全て揉み消されてきた。武闘派政治家だなんて呼ばれてはいるが、実際にヤツがゲンコツを振りかざすところを見た者はいないはずだ。
それだけ用心深いヤツが腹心に寝首をかかれることになったのは、秘書が最初から与党幹事長、海藤平助(かいどうへいすけ)の手先だったということさ。ちなみに海藤と秘書が繋がっていることは俺の独自ルートで知り得た情報で、二人は否認していたがな。
豊島はハメられたことを悟ると、例の記者会見の通り全てを認め辞任した。言い訳をすることなく、あっさりとしたもんだった。
違和感を感じた俺はヤツの本心を探るべく、何度も取材を申し込んだが、全て門前払いだ。そこで俺は、ヤツが泊まるホテルのボーイになりすましルームサービスを持って行くことでヤツの部屋に潜入することができた。
俺が“月光の記者宇山”と名乗ると、ヤツは笑ってたよ。大したもんだってな。そしてヤツは全てを話し始めた。秘書の北川真琴(きたがわまこと)とのことについて。
豊島は海藤の遠い親戚の子にあたる長谷川弥生(はせがわやよい)と政治的結婚を強いられた。ビジネスマンあがりの豊島にとって政治的なパイプは喉から手が出る程欲しいコネクションだった。政治家になりたての豊島にとって、形振りなんて構っていられなかったことは想像に難くない。当時付き合っていた北川典子(きたがわのりこ)に急な別れを告げて、豊島は長谷川と一緒になることを選んだ。典子との間に子供を宿していたとは気付かずに。
そこから豊島は政治家として着実に力をつけ、30年かけて今の地位を築き上げた。そして豊島の優秀な秘書として、北川真琴を紹介したのは、あの海藤だった。
海藤のうまいところは、真琴が豊島の娘だということを豊島に伝えたところだ。隠し子がいたなんてことが世間に知れ渡れば、今まで積み上げてきたものを壊すことになる。海藤はそこまで分かってて、豊島の秘書に真琴をあてがった。力をつけた豊島が自分に反旗を翻さない為に。
そして海藤は更なる暴挙に出る。真琴に豊島を誘惑するよう指示したんだ。さすがの豊島も愛した女との間にできた実の娘の色仕掛けには耐えられなかった…。
週刊誌に真琴と二人きりでいるところを幾度も撮らせ、わざと不倫の証拠ともいえるような音声データを残し、自身の不倫報道を演出した。実際はもちろん手を出したりしていない。真琴にも全てを打ち明けたらしい。
これだけ大きなネタだ。俺は次週の一面を飾るつもりでいたが、豊島に制された。「娘はどうなる?」
俺は「知るか」と天井を見上げたが、はたと思い返った。“なぜ豊島は喋った?”
確かにこの事実が報道されたところで、海藤は“事実無根で”突き通せるし、逆に真琴は海藤の信頼を裏切る形にもなる。なぜなら今回の一件は豊島が自作自演で作りあげたストーリーであり、真琴は任務遂行出来なかった手駒であることが露呈される。
そうなったときの真琴がどうなるか、俺にはすぐに想像がついた。俺が天井から視線を下げると、土下座をしている豊島が目に飛び込んできた。失脚されたとはいえ、政界の大物が一人の記者にできることではない。
「いつか、この事件を振り返ることができるときに今日のこの取材を使って欲しい」翌年、与党幹事長、海藤平助は心筋梗塞で死に、真琴は海藤の死後、事実を世間に公表した。豊島の隠し子という部分も包み隠さず。
海藤の死はあまりに突然だった為、一部では陰謀論も噂されたが、医師の診断は間違いのないものだった。なぜ今になって公表するのかは賛否両論あったが、真琴は父の正義を貫きたかったらしい。記者会見の様子はまるで父親そのものだった。
俺はあの時、豊島から制されたにも関わらず、強行して記事に載せてしまっていたら…と、よく考える。そうなれば伝わり方も変わり、真琴はもちろん、もしかしたら俺も記者を続けられていなかったかもしれない。
豊島の土下座には、もしかしたら俺のことも…なんて、思ったりもする。真実の伝え方も、ときにタイミングや言い方を間違えると大きな災いとなって返ってくる。記者として、あるまじき行為をしようとしていた己の愚かさにハラワタが煮え繰り返るのと同時に今までで一番身の危険を感じた取材だった。
この事件について話すタイミングが合ってるかどうかは、隠居してる豊島英治に聞いてくれ。